証言・沖縄戦「ひめゆり学徒隊が戦場の沖縄で体験したこと」

「ひめゆり学徒隊」として沖縄戦を体験した宮良ルリさんの証言・講演記録である。沖縄戦を教材に、平和学習や歴史教育の授業をする際には、絶好の教材である。沖縄戦で悲痛な体験をされた元ひめゆり学徒隊の方々のお話を聞くことは、非常に貴重で歴史的・学問的価値にも優れる。しかしながら、戦後80年を過ぎた今、戦時中の様子を自分の言葉で語ることのできる「語り部」に出会うことは望みようがない。この記録ビデオで、宮良ルリさんが語ることは、「生き証人」の「生の証言」である。その意味で、戦争の実態を知らない人にとっては、古い話ではなく「新鮮な生々しい話」である。 宮良ルリさんは、ひめゆりの塔の壕(第三外科壕)から生き残った1人である。1945年6月19日、米軍から壕(ガマ)にガス弾を投げ込まれて、その壕(ガマ)にいた沖縄師範学校女子部の職員・生徒48人中で生き残ったのは、たった5人だけである。その内の1人が宮良ルリさんである。その体験は、想像を絶する苦難である。本ビデオの後半に、その時の模様が具体的に語られている。その場で命を奪われた学友の無念を訴えつつ、自分自身が助かった「命の重み」を切々と語りかけておられる。 「戦場では、人間が人間でなくなってしまう。」「真実が言える、真実を教えることもできる教育をしなければいけない。」「死ぬことを教える教育ではなく、生きること、命を尊び、自分と他人の命を大切にすること(教育)が必要だ。」「命ドゥ宝(命こそ最も大切なもの)」「平和の実現には行動することが求められる。」など、随所に、過酷な戦禍を生き延びた人だからこそ語ることのできる重い言葉が随所に登場する。 講演対象は、兵庫県尼崎市立小園中学校の第3学年の全生徒(259人)と引率教員(13人)であった。このビデオは、後に公開することも含め、録画することをご本人の許諾を得て、倉橋忠が撮影したものである。 撮影日は1998年6月16日。講演当時の宮良ルリさんは72歳であった。高齢者と思えないほどの気迫で、沖縄戦で体験した戦争・戦場の悲惨さを伝え、平和を希求する思いを中学生に語られた70分の証言・講演であった。なお、宮良ルリさんは2021年8月12日に94歳でご逝去なさっている。ご冥福を祈りたい。 【講演内容概要】(前半部分のみを紹介する。) 中等学校の学生が動員された概略の説明がある。当時、沖縄には21の中等学校があった。これらのすべての男女中等学校の生徒たちが戦場に動員された。女子学徒は、15歳から19歳で、主に看護活動にあたった。男子学徒は14歳から19歳で、上級生が「鉄血勤皇隊」に、下級生が「通信隊」に編成された。鉄血勤皇隊は、軍の物資運搬や爆撃で破壊された橋の補修などにあたり、通信隊は、爆撃で切断された電話線の修復、電報の配達などの任務に従事した。 沖縄戦に至る前の説明から、講話の序章は始まる。沖縄に米軍が上陸する前の1944年頃から軍事拠点として変貌していく沖縄の様子を、学校生活の変化の紹介を通して説明。小禄飛行場(現、那覇空港)や那覇近郊の高射砲陣地の建設作業に、中等学校の生徒だけでなく小学校高学年の児童まで勤労動員に駆りだされた様子を、17歳の宮良さんが体験したこと中心に具体的に語る。 1944年10月10日、那覇市を米軍が空襲(通称、10・10空襲)。那覇市は壊滅状態になり、転がる無数の死体を学生たちが勤労動員で片付けさせられた。 1945年1月22日の空襲で、宮良さんが通っていた沖縄師範学校女子部の校舎にも爆弾が投下され大きな被害を受けた。 1945年3月1日、米軍艦載機が奄美・沖縄本島・宮古・八重山を空襲。3月23日米軍が沖縄本島の艦砲射撃を開始。この艦砲射撃を受けている時の沖縄県民が恐怖に襲われた様子を、師範学校生の姿を通して説明。同日、沖縄県立一高女学校と沖縄師範学校女子部(あわせて、地元で「ひめゆり」と呼ばれる)は、南風原(はえばる)陸軍病院に動員される(ひめゆり学徒隊)。 南風原陸軍病院で、看護婦の補助として活動する様子を具体的に説明。真っ暗な壕(ガマ)の中が病院だった。缶詰の空き缶に重油を入れた簡易型ランプの下で、傷病兵を看護する様子を具体的に語る。学徒隊の任務は、負傷兵の看護だけではなく、大小便の始末、死体処理、切断された手足の処理、水汲み、1㎞以上離れた炊事場まで食料を受け取りに行く飯上げ(めしあげ)任務まで幅広いものであった。いずれの作業も砲弾の嵐の中で行う命がけの仕事だった。学生たちは24時間勤務で交代、勤務中はベッドで休むことも許されず、立ったまま仮眠を取る激務であった。 負傷兵の様子を紹介することで、医療機器や衛生材の不足した状況を具体的に語る。壕の中の寝台は2段に仕切って、上の段にも下の段にも2人ずつ、負傷兵をずらっーと寝かせてありました。壕(ガマ)は、真っ暗です。ポツリ、ポツリと 小さな缶詰の空き缶を利用した重油ランプが点いていました。そこに寝かされている兵隊たちは、両手切断、両足切断、片手片足切断、胸の辺りをやられ、息をするごとに「ジュー、ジュー」泡が出る兵隊もいる。気管の近くをやられて「ヒュー。ヒュー。」息が漏れる兵隊もいる。火炎放射器に焼かれた兵隊は、目鼻、口を残して、ぐるぐる包帯を巻かれている。 壕(ガマ)の中は衛生状況が非常に悪い。傷口から破傷風菌が入る。ガス壊疽菌が入る。破傷風に罹った兵隊は、「血清注射打ってくれ。」と訴える。でも血清注射は、戦争が始まって10日ほどはあったが、後にはなかった。ないと言えば、死ねということと同じだった。また、あまりの戦争の激しさに、傷を負った上に、気が狂ってしまった兵隊も出た。その兵隊たちは、真っ暗な洞窟の中を、「突っ込めえ。突っ込めえ。怖い怖い。」と言って逃げ惑う。そばに寝かしている兵隊を踏んだり、蹴ったり。蹴られた人は「貴様。このバカ野郎。」と怒鳴った。あんまり、暴れる時は、衛生兵がベッドの柱にくくりつけると言うこともあった。 包帯交換は3日おき、4日おきと長引いていく。包帯は、砲弾で開いた穴にたまった雨水で洗った。血と膿(ウミ)で ベトベトになった包帯。 傷口にウジが湧く。ビチビチと、ウジが肉を噛む音が聞こえる。「痛いよー。」「痛いよー。」と兵隊は泣く。包帯をはずと、ポロポロポロポロ、ウジがこぼれ落ちた。一人の人で、両手ですくうほど ウジがこぼれた。 麻酔はおろか、痛み止めもない。治療は軍医がする。治療といっても、小さな綿棒にオキシュールをつけ、大きな傷もそれで消毒する。その後、赤チンをチョンチョンと、塗るだけだった。 1日中、貯めておいた尿や便の汚物を空けに行く。それは、みんな生徒の仕事だった。 水は貴重品だった。井戸は、わずかしかなかった。各壕(ガマ)から水くみに来る。列ができる。その列、めがけて、ボンボン爆弾も落ちる。命がけで汲んで来た水は朝1回、夕方1回、湯飲み茶碗の半分しか 与えることができない。学生たちも、それだけしか飲めない。 兵隊が「末期の水をくれー。」と言っても、どうすることもできない。学生たちが、おしっこを仮りに取って、前の樽に空けようと思って 暗闇を歩いていると、横から手が出て、おしっこの缶が奪われ、ゴーと飲んでしまう。「これ おしっこですよ。」と言う余裕はない。「ありがとう。学生さん。」「末期の水を 飲ましてくれて、ありがとう。」と言って、死んでいく兵隊たくさんいたと言う。 生徒たちの勤務は激務だった。3日も4日も徹夜が続くということは、ザラにあった。24時間勤務の交代制で働いた。生徒たちは寝台の上に寝ることは許されず、土壁に持たれて仮眠を取った。土壁は濡れている。土間はドロンコ。地下足袋ははいているが、泥だらけ。いう状態の中で、看護を続けた。 これが、南風原陸軍病院の時の様子である。ところが、1945年5月下旬になると南部に撤退することとなり、状況はさらに悪化する。

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