第64話 朝倉山田の長田大塚古墳
朝倉の山田の長田。「長い田んぼ」と書いて「オサダ」と読むんですけれども、長田大塚古墳(おさだおおつかこふん)というのがあります。大きさが、基底部が、現在見えてるところは、高速を作ったりする時に埋め立てされてますから、狭く見えてしまいますが、ちょっと離れた周りに昔の旧里道があり、その里道の際までが昔の円墳の基底部です。それを測ってみると、だいたい140m程度ある。測量がまだできてないので、グーグルアース上で測ってみたら、140m以上あるようです。 また、一説には、祭司の場所の突出部を備えた帆立貝型との説もあり、それを加えるとそれ以上で、145m程度はあると思えます。 魏志倭人伝には、卑弥呼の墓は径百歩となってますけれども、魏の時代の径百歩というのが135m~145mの間なんです。だからそれから行くと、ちょうど大きさが該当しています。 それから、場所が朝倉の山田なんです。江戸時代に、邪馬台国と書いて、「ヤマタイコク」と呼んだもので、今でもずっとこの読み方になってるけど、もともとは、魏志倭人伝には、この「台」の字ではなく、「壹」の字が記載されています。しかし、他の中国史書の殆んどは「臺」の字が記されています。 「台」の字は確かに「tai」の発音なんですけれども、「臺」は「dai」なんです。ということは、「邪馬臺」国の読みは、「yamadai」国であることになります。だから「邪馬台」国と記して「yamatai」国と呼んでるのは間違いなんです。 また、魏志倭人伝の中国以外の地名・人名等の固有名詞部分は「借字」表記であることから、音韻のうちの音の部分だけしか採用しないことが明らかです。そうすると「邪馬臺」国の借字読みは、「ヤマダ」国になります。ちょうどこれが「ヤマダ」で、朝倉の「山田」地名と同じなんです。 朝倉というのは、もともと、斉明天皇が来た時に、朝倉の山とか朝倉社として「朝倉」地名が初めて出てくるけれども、それ以後、明治29年の「朝倉郡(あさくらぐん)」誕生までの間は、「上座」と書いて、これを「じょうざ」と読まない、「かみつあさくら」と読むのです。つまり、「座」の字が朝倉なんです。そして、下座と書いて「しもつあさくら」と読むのです。だから、昔は、「座」の字一つで「あさくら」と読ませているのです。 ところで、斉明天皇の時に、朝倉山とか朝倉社と書いてあるのに、朝倉には朝倉社も朝倉山もないのです。あるのは、麻氐良山と麻氐良布神社なのです。しかも、麻氐良布の「布」の字は発音しません。 ところで、麻氐良の「氐」の字、これは略字体です。この字は、正式書体の正字体では「弖」です。 そして、「弖」の草書のくずしは、「久」の字の草書体と同じです。よって、麻氐良の正式表示の「麻弖良」の「弖」を「久」に置換したら、「麻久良」となります。そして、その読みが、「あさくら」になります。 また、麻氐良布神社の「布」の字は、これを草書体で書けば、それは、横須賀の「須」の字の草書体と同一です。ならば、麻氐良布の「布」を「須」に置換すれば、「麻氐良須」になります。よってその読みは、そのまま、アマテラスになっているのです。そしてマテラ神社に祀っているのは、蛭子を含めた天照の親兄弟全員家族なんです。そういうことで、麻氐良布神社(マテラ神社)というのは、おそらくアマテラスから来ているのです。また、「朝倉」の地名も麻氐良から来ている。だからこの朝倉というのは、アマテラスに由来していて、ものすごく重要なところであることが明らかです。 「ヤマダ」という発音は、この「邪馬臺国」から来ています。そして、「長田」と書いて「オサダ」と読む。これはどういうところかというと、オサダ(長田=ながた)というのは天照大御神が初めて稲の種をまいて、そこに稲がたわわに実った。それで、お祝いをした。神様に奉納したんです。それが新嘗祭の始まり、新嘗祭とか大嘗祭の始まりです。だから大嘗祭とか新嘗祭、天皇家でやっていることは、あれは天照が、一番、最初にやったんです。 そして、それがずっと途絶えてたのを、途中でもう一回行うようになった。それをやったのが誰かといえば、皇極天皇です。皇極天皇が初めて国事行為として大嘗祭・新嘗祭をやってるのです。 そしてその後、乙巳の変で、次の日に退位してやめて、弟に皇位を譲った。でも、弟の天皇が、わずか数年で亡くなってしまった。だから、もう一度天皇に戻った。それが斉明天皇です。 その斉明天皇の時に、皇極天皇=斉明天皇が朝倉に来て、朝倉の宮を作った。その宮を作る時に、ここにあった麻氐良布神社こと朝倉社を東の山上に移した。それが、麻氐良山上の麻氐良布神社の誕生。ということは、元宮は、やっぱり、山田の長田にあったのです。 おそらく、麻氐良布神社の元宮は、あの古墳の西側のすぐのところにあったのです。なぜかというと、もともとあの古墳を拝んでいたはずだからです。なぜならば、あの古墳が御神体だったはずです。だから、御神体がここにあると、拝殿は西(夏至の日の日の出と間反対)向きこうで、拝むのは東(夏至の日の日の出の方向)向きです。だからご神体は、拝殿の真上、真裏にあるはずです。 だから、これが古墳の頂上なら、ここが本宮、そして今の山上にある麻氐良布神社と一直線に全部なっているはずです。朝倉社の本宮と斉明天皇の朝倉の宮は、夏至の日の太陽の出る時を見て、ちょうど、それの一直線に来たところにあったはずです。ということがわかると思います。 私は、おそらくこの古墳が、卑弥呼の墓じゃないかと、卑弥呼=アマテラスなんじゃないかと考えています。それでちょうど140mを越しているし、一番、これが、適合してるんじゃないかと思います。 145mの円墳(帆立貝型)と言ったら、今日本で一番大きいと言われてる円墳は、丸墓山古墳で、80何mですから。それが日本一と言われているのに、ここは、140m以上あるのです。それが秘密になっている。おそらく宮内庁とか文化庁が、秘密にして隠しているのでしょう。

Closing Out Ancestral Graves and Family Legacies

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