人生は必ず途中で終わる。―人生は、報恩の途中― (ショート法話671)
北海道岩見沢市幌向 浄土宗西山禅林寺派「善光寺」 大久保瑞昭住職による短時間で聞けるショート法話です。 #仏教 #浄土宗 #西山派 #法話 #お経 #念仏 #北海道 #岩見沢 #幌向 ※当・善光寺は、檀家さんより、年間、維持費として一万円、十夜法要への寄付金として五千円~をいただいております。 ※当・善光寺では、いったん檀家になり、それを辞める場合でも、他の多くの寺院と同様に、「離檀料(りだんりょう)」は必要ありません。 ※随時、御朱印を承っています(要予約)。 先日、或るお坊さん向けの研修会に出席した時に、その御講師の先生が、「人生というものは、必ず、途中で終わる。例え百歳の長寿を全うしても、人生は、途中で終わる」とおっしゃっていました。 この、「人生は必ず途中で終わる」ということを、私なりに考えて見ました。 例えば、「あれもしたかった。これもしたかった。今とは違った人生があったのではないか。あともう少し、孫が小学校に上がるまでは生きていたい」と、そういう願望があって亡くなった場合は、その人の人生は「途中で終わった」ということになると思います。 しかし、「私は十分に満足だ。何もやり残したことはない。後悔も無い」という心境で亡くなった人が、もし居たとしたら、その人の人生は「途中で終わった」ということにはなりませんよね。 この「私は十分に満足した。何も後悔は無い。私の人生には欠けた所が無い」という状態は、それは理想なのですが、何か引っかかりますよね。 もし私が、自分のことを振り返って、「私には何も後悔は無い。私の人生には欠けた所は何も無い」と思っていたとしたら、私の恩師達は、「思い上がるのもいい加減にしろ!大した優秀でも無いお前は、どれだけ迷惑を掛けたと思ってんだ!そんな傲慢な人間に育てたおぼえはない!」と怒られるでしょうね。 仏教では、人間は、物事を自分中心に見てしまう「煩悩」を抱えていると説いています。 そのため、自分のことを「私はもう十分に分かった」「私は完成した」「私には欠けたところがない」と、自分で判断する場合でも、その「自分」というものが、そもそも煩悩に振り回されている可能性があるのです。 その「煩悩」を抱えた状態で、「自分には欠けた所が無い」と、自分が勝手に判断しているに過ぎないのですね。 だからと言って、「自分は至らない、至らない」と永遠に自分を否定し続けることを、仏教で教えているわけではありません。 「私の人生は完璧だった」という人よりも、「至らぬことも多かっただろうが、ありがたい人生だった」という人の方が、より仏教的な生き方に近いということなのですね。 そして、その至らぬ私だからこそ、他の誰かに助けられて生きているのです。 ならば、その「助けられた」という「ご恩」に報いて行く、少しでもお返して行きたい、と思うものですよね。 「助けてもらって申し訳ない」ではなく、「助けてもらって助かった。有り難かった」から、それを少しでもお返しして行く。 そのご恩返しも、恐らく、「全て返し終えた」ということは、無理でしょうね。 だからこそ、私たちの人生は、「やり残したことがある」ということではなく、人間は最期まで、自分のことさえままならないものであり、それゆえ、自分は思いもよらないところで他人のお世話になっている、助けられながら生きているのであり、そのいただいたご恩を全て返し切ることはできない、という意味で「途中」ということですね。 「人生は途中で終わる」ということは、「人生は報恩(ご恩返し)の途中で終わる」ということなのです。 善導大師は、『観念法門』にこうおっしゃっています。 「連劫累劫に身を粉にし骨を砕きて、仏恩の由来を報謝して、本心に称うべし」 幾劫にもわたって身を粉にし骨を砕いてもなお、仏さまが私たちを往生させるというご恩に報い感謝して、心からお念仏を称えるべきである。 「身を粉にし骨を砕きて」とありますが、これは、もちろん文字通りのものではありません。 仏さまの私たちを浄土に往生させるというご恩は、こちらが返し切れるものではないぐらい深いものなのだ、ということです。 仏さま、ご先祖様、現世の人々、あらゆる方々の支えによって、私たちは、今、ここに居ます。 その自分に届いている「ご恩」を見つめ、そして、少しでもそこに報いて行く。 「やりたいことが未だある」という人生ではなく、「ご恩返しの途中」の人生を歩んで参りましょうね。 Twitterはじめました https://twitter.com/hokkaidozenkoji?s=06 善光寺のブログ http://blog.livedoor.jp/zenkojinamu/

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