米朝 志ん生 志ん朝 吉朝 割り切れない緊張感【落語】看板の一 三枚起請 五人廻し 七段目
0:48看板の一 16:19三枚起請 41:28五人廻し 1:09:27七段目 1:37:01エンドトーク 「看板の一」 古典落語の演目。「看板のピン」とも表記する。もとは江戸落語の演目で、3代目桂米朝が上方落語に移入した。サイコロ賭博を扱った落語の演目としては他に「狸賽(狸の賽)」があり、5代目柳家小さんによると、3代目桂三木助は本演目を「狸賽」のマクラに使っていたという。若い者は寄ると触るとサイコロ賭博を始めます。そこに昔の親分がやって来た。負けた奴ばかりが残ったので、筒(どう)をやってくれと頼まれた。やりたくないが、歳をとったので目が良く見えないと言いながら壷を振った。サイコロが飛び出してピンが出ていた。「さ~、はれ。勝負はこの壷の中だぞ」。みんな飛び出したピンに張った。中には褌に挟み込んだ金まで出して張った。「もう一度言うぞ。勝負は壷の中だ」「へい、分かっています」「いいか、ピンに皆張って偏ったが、残りの目が出たら俺の勝ちだ。で、看板のピンはこちらに閉まって」「ええ!」勝負は壷の中と言っただろう・・・ 三代目 桂 米朝 現代の落語界を代表する落語家の一人で、第二次世界大戦後滅びかけていた上方落語の継承、復興に大きく貢献した。その功績から、1996年(平成8年)に落語界から2人目の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、2009年(平成21年)には演芸界初の文化勲章受章者となった。位階は従三位。戎橋松竹で初舞台後、長年千土地興行(後の日本ドリーム観光)に所属し、千日劇場を本拠に道頓堀角座やうめだ花月にも出演したが、1968年3月以降はフリーとなり、ホール落語、独演会、一門会を中心に活動するようになる。ラジオパーソナリティーを務めていた近畿放送の「天壇ゴールデンリクエスト」の縁で1966年7月16日、初の独演会「米朝 スポットショー」を京都府立勤労会館で開催、その流れで10月25日に現在でも続く桂米朝落語研究会をスタート。1974年、千土地時代の担当マネージャーを社長に据え芸能事務所米朝事務所を設立。現在一門の多くがここに所属する。 「三枚起請」 元は上方落語で難波新地のお茶屋を舞台にした噺であったものを初代三遊亭圓右が舞台を吉原遊廓に変えて東京に持ち込んだ。江戸落語では五代目古今亭志ん生が得意とした。かつて遊廓では、客と遊女との間で、年季が開ければ夫婦になることを約束する起請文を取り交わすことが流行った。町内の若い男3人が話していたところ、それぞれ馴染みの遊女から起請文をもらったという話になった。名前を見ると3人とも相手の遊女は同じ名前で嘘をつかれたと知る。しかも、3人のうち1人は妹から金を借りて借金の肩代わりまでしてやったのだった。これは他にも多くの男が騙されているぞという話になり3人でその遊女を懲らしめてやろうということになったのだが・・・。 五代目 古今亭 志ん生 1890年6月5日東京生まれ。本人曰く4代目橘家圓喬の弟子 6代目圓生は志ん生について「芸の幅が五十をすぎて、パーッと開けちゃった」「人間はズボラだったが、芸にウソはなかった」「志ん生の芸は傷だらけ(中略)その芸も完璧なものじゃなかったわけで、人間描写もいい加減なところがあった」「小さく固まらなかったから、いつかその芸がなんともいえない独特の芸風にふくらんでしまった」口演の出来不出来が激しかったが、「そこがいかにも志ん生らしいところで」「志ん生さんにはフラがありましたが、あれも型があっての上での自在な間なんです。型のないものは芸じゃありません。」と評している。「完成した5代目志ん生」を見ると「天衣無縫」と思えるが、実際は売れない時代が長く、芸について苦労して非常に考えた上であの芸風を苦心して作り上げたことが窺える。 「五人廻し」 川柳に「人は客我が身は間夫と思う客」「女郎買いふられて帰る果報者」五人の客を取った喜瀬川花魁、杢兵衛大尽の部屋へ入ったきりで他の客の廻し部屋には廻って行かない。こうなると苦情処理係の若い衆は忙しい。初めの客は料理だけ食って出て行ったきり待てど暮らせど姿を見せない三日月女郎、いや今宵は皆既月食か喜瀬川を寝たふりをして待っている男の部屋。若い衆「・・・もうじきお見えになります。しばらくご辛抱を・・・吉原には吉原の法、廓の法がございます・・・」でカチンときた・・・ 三代目 古今亭 志ん朝 七代目立川談志、五代目三遊亭圓楽、五代目春風亭柳朝と共に、若手真打の頃から東京における『落語若手四天王』と呼ばれた。他にも同世代噺家の中では『東の志ん朝、西の枝雀』と称される。「古今亭志ん朝」を名乗った他の2人は、いずれも名乗った期間が極めて短い。そのため「古今亭志ん朝」と記した場合、真打昇進から没するまで40年以上にわたって「志ん朝」を名乗り続けた三代目を指すことがほとんどである。落語家としては初めて高級外車を乗り回したり、豪邸を建てたりしたことで知られるが、前者に関しては父・志ん生から猛反対され、後者では男性週刊誌記者から「落語家が豪邸を建てるとは何事か」「長屋住まいを続け金に執着しない八代目林家正蔵(林家彦六)を見習え」と非難されたりした。一方では、客入りの良くない名古屋の大須演芸場を守る足立席亭の心意気に感じ、1991年から毎年独演会を行う人情家でもあった。 「七段目」 芝居噺に分類される演目である。上方落語・江戸落語の両方で演じられる。江戸では『役者息子』の演題もある。芝居好きの商家の若旦那をたしなめに行かされた丁稚も芝居が好きだったため、二人して即興の芝居を演じるという内容。題名の由来は、中盤で歌舞伎の演目『仮名手本忠臣蔵』の七段目「祇園一力茶屋の場」にあたる場面が取り上げられていて、お軽は夫の勘平のために遊女となり密書を盗み読みする役どころです。興が乗って若旦那の芝居が怪しくなり危険を察知した丁稚は階段から・・・ 桂吉朝 若い頃から千朝、桂雀松らや講談師の旭堂南左衛門と勉強会を開催した。落語だけにとどまらず中島らもの劇団「笑殺軍団リリパットアーミー」の役者としても活躍したほか、阪本順治監督の映画『王手』(1991年)に将棋の師匠役で出演もした。狂言師13世茂山千五郎らとともに、狂言と落語をミックスさせた「落言」の公演を行う一方、文楽の桐竹勘十郎、豊竹英太夫(現・6代目豊竹呂太夫)らとも親交が深く、文楽と落語をコラボレーションさせた会を開催するなど、他ジャンルの芸能との交流も深かった。その才能と実力から上方落語界の次世代を担うホープ、また米朝の後継者として期待されていたが、1999年に胃がんを患い、手術を受け一度復帰したものの、2004年10月になって胃がんを再発。その後治療を続けながら高座を務めていたが、すでにがんは末期の状態であった。 トークなしで純粋に落語だけを楽しみたい方はこちらでどうぞ 落語の蔵: / @repli455 トークをもっと楽しみたいと思ったらこちらもどうぞ 荒獅子男乃助:トークチャンネル • 荒獅子男乃助:トークチャンネル #米朝 #志ん生 #志ん朝 #吉朝 #看板の一 #三枚起請 #五人廻し #七段目 #落語

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